今月12日は 私の28歳の誕生日でした。
実はこの日から父が危険な状態に陥り
現在も集中治療室で治療を受けています。
以下長い文章は 自分への覚書を含めて書いているので
流しちゃってくださいね。
朝早く 実家の母から電話が入ったので 少し気持ちを締めて出てみると
父が救急車でこれから搬送されるとのこと。
内心 「やっぱりか。」
といった印象
退院してから 調子は悪くなる一方で前日には会話も辛そうでした。
闘病生活が長い父は何度も危険な状態を経験し
救急車のお世話になることも珍しいことではありませんでした。
母は父と一緒に病院へ発ったので急いで子供たちを保育園へ預け
実家へ行き 宿泊されているお客様をお見送りしてから
私もmatthewを連れて追いかけました。
容態はひどく悪化し 大洲病院から松山の救急へ搬送
肺炎を起こしており 自力での呼吸がほとんどできなくなっていました。
その姿はあまりにも苦しそうで 何と言葉をかければいいか・・・ただ見つめることしかできませんでした。
肺炎といっても父の場合 強い薬を投与する日が続いていたため肺自体がかなり弱っており
キケンな状態でした。
「出来る限りのことを全力で行います」
という先生の言葉が事の大きさを物語っており
後ほど
「覚悟もしておいてください」
と言われました。
母はそれを聞いて 自分の対応の遅れをすごく後悔していましたが
父が病気になってから20年以上 で家業と父の看病を献身的に行ってきた母に
自分を責めるようなことだけは絶対にしてほしくなかった。
母は間違っていなかったと思っているし
父の生命力に懸けるしかなかった。
人工呼吸器を挿入するため 薬で眠りにつくまえに少しだけ話をして
ありきたりな言葉しかかけてあげられなかったけど
これで父は苦しみを忘れて眠れるのだと思うと安堵した。
その日の深夜
もろくなっている肺が破れ 一時危険な状態になりましたが
もう片方の肺に脇から管を挿入し なんとか酸素を送り
それからは父はずっと鎮静剤で眠ったまま
人工呼吸器で命をつないでいます。
酸素が入りはじめたおかげで血圧 脈 酸素濃度など安定してきましたが
それでも助かる見込みは50%
病院のスタッフの方々は最善の治療に力を注いでくれているし
どうなるのか さっぱり想像がつきません。
良くなるような気もするし 駄目なような気もするし
神のみぞ知る
といった感じです。
こうして生と死の世界を垣間見ていると
新しい命の誕生が どれほど幸せと喜びに満ち溢れたものなのか
痛感しました。
わずか一ヶ月半前に生まれたmatthewを抱いて
病院の控え室にいながら そんなことを考えていました。
一日に3回だけ許される面会も 父は眠ったままだけど それでも顔をみたくて 病院へ通っています。
最後まで読まれた方
付き合わせちゃってごめんなさいね(>_<)
なんとなく 今の気持ちを忘れてしまいたくなかったので書かせてもらいましたm(_ _)m